『父と子の旅路』(小杉健治)を読んだ感想。父親の愛に感動

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我が子と一緒にいるか、手放して成長を見守るか。

生きる希望をつかむか手放すかにひとしい選択だったと思う。しかし、光三はあの凄惨な現場で頭を働かせ、人生最大の博打に勝ったのだと本書を読んで思いました。

小杉健治さんの『父と子の旅路』を読んだ感想を綴っていきたいと思います。小杉健治さんの本を読むのははじめてでした。きっかけは祖父がオススメしてくれたこと。裁判ものが面白いから読んでみたら、と軽いすすめでした。

読み進めていくと、複雑な人間関係と物語がひとつの真実に向かう様子に引き込まれていきました。そして読んでいる途中で真実を知ったとき、私は涙してしまいました。

なお今回はネタバレをしないよう注意して書いていきますのでよろしくお願いいたします。

 

 

母と腹違いの兄

ストーリーは主人公の河村礼菜(かわむられいな)の母であるあかねが、末期癌で病床に付しているところからはじまった。水商売で働いていたあかねは男性関係がはげしく、自由奔放な生きかたをしてきました。娘の礼菜がうまれた後も仕事はやめず、かといって娘を育てることもろくにしない母親でした。

母の愛情をあまり受けないで育ってきた礼菜でしたが、母が癌になり以前とは別人のように穏やかに、礼菜のことを気に掛けるようになりました。母の最後のために何かしてあげたいと思った礼菜は、腹違いの兄のことを知り、兄を母に合わせるために奔走します。

 

過去に起きた事件

視点はあかねの元旦那の柳瀬光三(やなぎせこうぞう) にうつります。光三とあかねはあかねが働いていたスナックで出会いました。はじめはあかねが光三にぞっこんで、次第に2人は付き合うようになり、すぐに2人は結婚。男の子(光男)を授かるまでは順調に進んでいました。

しかしあかねは礼菜のときと同様、光男を育てようとはしませんでした。光男が泣いていても無視、抱くこともオムツを替えることもしませんでした。あかねが家を出ていき、自然と子育ては光三の役目に。仕事が終わると真っすぐ家に帰宅し、オムツを替え、光男が夜泣きをしたら家を出て散歩をする。光三は甲斐甲斐しく光男を育てていました。

 

光三はある日、自分が癌に侵されていることがわかりました。

自分はいつか死んでしまうかもしれない、そうしたら光男はどうなる?自分の生い先が短いとわかった光三は、光男の引き取りて手を探す旅に出ました。あかねは行方知らずで、預けることは無理と思った光三は、あかねの実家を訪ねることに。

 しかし、あかねの両親はすでに別の場所に越しており、現在は大富家の人が住んでいました。最後の頼みと思い、遠くから来た光三は途方に暮れてしまいます。そんな光三を見かねた大富家の人は光三を一晩泊めてくれ、あかねの両親の新住居を教えてくれました。さらに大富家には光男と同い年の子供がおり、光男のことも面倒を見てくれました。

 

光男を大富家に預け、光三はあかねの両親に会いに行きます。光男のことを頼むとあかねの父に話しましたが、あかねの父は光男を拒み、2度と来ないよう光三に言い渡しました。絶望感に浸った中大富家に戻った光三にさらなる悲劇が起こりました。大富家の人たちが殺されていたのです。

 幸いにも光男は生きており、大富家の人を殺した容疑が自分にかかると思った光三は光男を抱いて逃げました。

案の定警察は光三のことを嗅ぎつけ、光三の行方を追います。 そして、広島にあった光三の生家の跡で光三は見つかります。しかし、そこには光男の姿はありませんでした。あんなに愛していた息子を、結局手放してしまったのか。光男の行方を読みながら心配してしまいました。

(中略)

橋に近づいて、河原にひとりの男が佇んでいるのを見つけた。

車から下り、松枝は土手を下り、男に近づいていった。

男の背中は寂しそうに見えた。気配に気づいたのか、男がはっとしたように立ち上がって振り向いた。夕陽が男の顔を赤く染めた。

「柳瀬光三だな」

男は微かに頷いた。松枝は不思議に思った。子供がいないのだ。

「子供はどうした?」

松枝の問いに、柳瀬は力なく首を横に振った。そして夕陽の中に溶けていくように、柳瀬は膝をついて泣き崩れた。(p.61)

 

生き残った子供

 大富家殺害事件で生き残ったのは光男だけではありませんでした。大富家の子供の祐介も無事だったのです。彼はその後母親の姉夫婦に引き取られ、元気に育っていきました。自分の両親が殺されたことを高校生になって知った祐介は、紆余曲折を経て弁護士になりました。

弁護士になったある日、事務所に礼菜が現れました。礼菜は大富家の子供が弁護士になったことまで調べ、祐介に柳瀬光三の無実を晴らすように頼んだのです。

自分の両親を殺したかもしれない男の無罪を証明する。そんな精神的にもつらい依頼を彼は引き受けることに。

ここからストーリーは、真実に向かって動いていきます。

 

死刑について考えさせられる

 『父と子の旅路』で印象に残ったシーンが、光三と森下看守の死刑についての話です。

光三も殺人の罪で死刑宣告をされた身で、26年間房の拘置所で生活してきました。光三は拘置所で一目置かれた存在になっていました。死刑囚や看守たちと折り合いが良く、拘置所で真面目に生活していたためです。光三が誰も殺していない、無実であるということを拘置所内の人々は薄々感じていました。

そんな光三に対して森下さんはこう話します。

「俺は死刑囚を何人も送ってきたよ。収監当時は凶暴でどうしようもない人間の屑だと思っていた奴が最後には真人間になって死んでいくんだ。入って来たときと顔つきが全然違って温和な表情になっているんだな。こんな人間にどうして死刑を執行しなきゃならないんだといつも腹の中じゃ思うのさ。なあ、柳瀬。君だってそう思うだろう」

(中略)

「俺はな。死刑廃止論者じゃない。金谷にしろ、果たして無期懲役の刑だったらあのように改悛出来ただろうかと思うからだ。死と向かい合ってはじめて真人間になったんじゃないかって気がしている。だがな」

森下は語気を強めた。

「じゃあ、なぜ真人間になった者を殺さなきゃならないんだ、といつも疑問に思うんだ。わかるか。俺達看守ってのは受刑者の監視や規律を守らせることだけが仕事じゃない。その一方で、相談に乗ってやったり、心で触れ合っていくものなんだ。ある意味じゃ、俺達は受刑者の親であり、兄のようでもあるんだ」(p.210、211)

真人間になった人間をどうして殺さなければいけないのか。

看守という仕事の苦しさ、つらさを垣間見る文章でした。大切な人を奪われた側としては、当然殺人者にはそれ相応の刑を受けてほしいと思うでしょう。だからこそ死刑はなくならないのかもしれません。

実際に受刑者を殺すのは看守です。同じ空間で過ごし、ときには相談に乗り、話をした相手を殺さなければならない。想像もできないほど過酷な仕事ではないかと感じました。

 「死刑は死刑囚だけにじゃない、俺達にだって過酷なものなんだ。出来ることなら、役目はしたくないんだ。わかるか、柳瀬。命を奪った相手は真人間なんだ」

森下の苦悩がずしりと伝わってきた。

「わかるだろう。俺達は刑の執行なんか望んではいな。ましてや、君は無実じゃないか。君の処刑なんか、誰もしたくないんだ」(p.212、213)

 

光三は死刑執行されてしまうのか?光男は?あかねや礼菜、祐介はどうなるのか。

すべての真実を知りたい人はぜひ『父と子の旅路』を読んでみてください。絶対に読んで損はしない作品です。

 

 

おわりに:現在テレビ放送中!

東海テレビの『家族の旅路 家族を殺された男と殺した男』というタイトルで現在2話まで放送がされているそうです!リアルタイムでドラマがやっているとは知らず、1話から見られなかったことが残念です。

リンク:家族の旅路 家族を殺された男と殺した男|東海テレビ

 

2005年にも『冤罪〜父と子の旅路〜』というタイトルで単発ドラマが放送されていたようです。2回もドラマ化されているのは、この作品が素晴らしいという証拠でしょうね。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

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