『ノルウェイの森(上)』(村上春樹)を読了したので感想を

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死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

言葉にしてしまうと平凡だが、そのときの僕はそれを言葉としてではなく、ひとつの空気のかたまりとして身のうちに感じたのだ。文鎮の中にも、ビリヤード台の上に並んだ赤と白の四個のボールの中にも死は存在していた。そして我々はそれをまるで細かいちりみたいに肺の中に吸いこみながら生きているのだ。

(『ノルウェイの森(上)』(村上春樹)p.54) 

 

 

 

ノルウェイの森(上)

私は今まで村上春樹さんの作品を一度も読んだことがありませんでしたが、この『ノルウェイの森(上)』の序盤を読んだだけで好きになりました。

 

ノルウェイの森』は 37歳の僕(主人公)が20歳になろうとする秋のできごとを回想する物語である。その過去はとても濃密な過去であり、「あ~懐かしいな~」で済まされるような過去ではない。主人公と直子、それ以外の多くの人々と深く関わり愛や死に葛藤する。

 

キズキの死

回想は主人公が大学寮に入り、直子と再会するところから始まる。直子とは高校の時の同級生であり、主人公と直子、キズキという男の子の3人でよく過ごしていた。直子とキズキは3歳の頃から知っていて恋人同士でもあったが、主人公と3人でいるのが気楽で好きだった。

 

キズキは場の空気を見極める才があり、3人の中で中心にいる人物だった。彼がいるから場が盛り上がり、話が進む。主人公にとって彼は唯一の親友とも呼べる友人だった。

 

そんなキズキはある日何の前触れもなく自殺をした。遺書もなければ思い当たる動機もない、あっけない別れだった。キズキの死を境に主人公は「死」を分離したものとして捉えられなくなる。身近な人が「死ぬ」ことで「死」や「生」について考えるのだ。

 

私はまだ「死」や「生」について深く考えたことがない。たぶん身近な人が死んだら主人公と同じように「死」に捉われ考えるのだろうと思う。「死」は特別なことじゃない、当たり前のようにそこにあるのだと読んでいて感じました。

 

しかしキズキの死んだ夜を境にして、僕にはもうそんな風に単純に死を(そして生を)捉えることはできなくなってしまった。死は生の対極存在なんかではない。死は僕という存在の中に本来的に既に含まれているのだし、その事実はどれだけ努力しても忘れ去ることのできるものではないのだ。あの十七歳の五月の夜にキズキを捉えた死は、そのとき同時に僕を捉えてもいたからだ。

(『ノルウェイの森(上)(村上春樹)p.54~55』) 

 

 

永沢との出会い

 主人公は住んでいる寮で「永沢」という男に出会う。父が病院を経営していて金を持っているのはもちろん、風采もよく誰もが彼に一目を置く、そんな特別な存在だった。彼は女にもよくモテる、彼と夜に出掛ければ釣れない女はいない。主人公も彼と一緒に夜な夜な町へ出て女をひっかける生活をするようになる。

 

そんな中、主人公が永沢に「こんなこと続けて空しくならないのか」質問するシーンがある。永沢の答えが以下の引用であった。

 

「日が暮れる、女の子が町に出てきてそのへんをうろうろしていて酒を飲んだりしている。彼女たちは何かを求めていて、俺はその何かを彼女たちに与えることができるんだ。それは本当に簡単なことなんだよ。水道の蛇口をひねって水を飲むのと同じくらい簡単なことなんだ。そんなのアッという間に落とせるし、向こうだってそれを待っているのさ。それが可能性というものなんだよ。そういう可能性が目の前に転がっていて、それをみすみすやりすごせるか?自分に能力があって、その能力を発揮できる場所があって、お前は黙って通りすぎるかい?」

(『ノルウェイの森(上)(村上春樹)p.74~75』) 

 

彼は能力があるからこそ彼女たちとセックスをしている。彼女たちの求めていることを上手く汲み取っているんだ。なんとなく言わんとすることがわかる気がしました。

 

「自分に能力があって、その能力を発揮できる場所があって、お前は黙って通りすぎるかい?」という言葉にどこかグサッときました。彼の場合女の子と寝ることが能力なので響きづらいところがありますが、自分の持っている能力を発揮できるのに、通りすぎてしまう人っていると思ったのです。

 

もしかしたら私も発揮しないで通りすぎているかもしれません。自分を顧みてしまいました。

 

 

直子の関係

直子が二十歳になった夜。主人公は彼女の家で誕生日を祝うことにした。一緒にケーキを食べ食事も済まし、彼女は昔のことや大学のこと、家庭のことを話した。しかし、彼女の話、しゃべり方はどこか不自然で歪に聞こえる。彼女は「何か」に触れないように、避けながら話していた。キズキもその「何か」のひとつだった。

 

直子は四時間以上話し続けていた。突然話は終わった。終わった、というよりもエネルギーが尽きた感じであった。そして彼女は泣いた。泣いて震えている彼女を抱きしめ泣き止むのを待ったが、彼女は泣き止まなかった。

 

主人公と直子はこの夜寝た。主人公は二十年近くたった今でもこの判断が正しかったのかわからないと語っている。実際好きな女の子が泣いていたら、男の子はこのような対応をとるものではないかと私は思いました。彼の判断は間違っていなかったんじゃないかと。

 

しかし、この夜を境に直子は主人公の前から姿を消してしまいます。直子を必至に探しますが行方はなかなかわからず、手紙を送っても返事は来ませんでした。このときの主人公の切なさ、大切なものが欠落した姿は読んでいてつらかったです。

 

 体の中の何かが欠落して、そのあとを埋めるものもないまま、それは純粋な空洞として放置されていた。体は不自然に軽く、音はうつろに響いた。僕は終週日には以前にも増してきちんと大学に通い、講義に出席した。講義は退屈で、クラスの連中とは話すこともなかったけれど、他にやることもなかった。僕は一人で教室の最前列の端に座って講義を聞き、誰とも話をせず、一人で食事をし、煙草を吸うのをやめた。

(『ノルウェイの森(上)(村上春樹)p.88』) 

 

この気持ちとてもわかります。大切なものを失ったときこそ、他に埋めようがないのに代わりのもので埋めようとしてしまう。でも埋められない。直子が主人公にとっていかに大切な存在であるのかがうかがえますよね。

 

その後直子から手紙が届くのですが、主人公に会う準備ができていなく会うことは拒まれてしまいます。哀しい気持ちになる主人公ですが、ふたたび直子に会える日が来ることを願って日々を過ごします。

 

そんな中で緑という同じ大学に通う女性に出会います。彼女は活発な性格でギターを引けたり、お父さんがやっていた本屋を引き継いでいたり、重い過去があったりする女性です。詳しくは書きませんが緑と連絡がつかなくなった後、下巻でどう書かれているのかが気になります。

 

緑と連絡がつかなくなった日に直子から手紙が届きます。それは直子がいる療養所へ会い来ていいという内容でした。主人公はすぐに支度をし、直子に会いに行きます。直子のいる療養所はとても山奥にあり、静かで現世とは離れた場所にあります。

 

 療養所で直子と同室に住んでいるレイコという女性に出会い、療養所のことや過ごし方について教わり、彼女たちの部屋に泊まることになります。

 

療養所はみんなで助け合って回復していく場所。お医者さんが彼女たちを助けるように、彼女たちはお医者さんにギターやフランス語を教える。助け合いの場であるということを強く教えられます。

 

人間は不完全である。普通に会社に勤めている人も、医者も、私も。人は1人では生きていけない。療養所での話はそんな当たり前のことに気づかされました。

 

療養所に来てからの内容は非常に濃く、レイコさんの過去や直子とキズキの関係、直子の家庭の話がぎっしり詰まっています。そこで再び直子は感情的に、気持ちが高ぶってしまいますが少しすれば落ち着くように。療養所で直子は少しずつではあるが回復してきているのは読んでいて伝わりました。

 

上巻の内容は以上です。下巻にかけて2人の関係がどう進むのか、主人公と周りの人の関係の変化が気になります!

 

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 下巻も読み終わり次第、感想を書きたいと思います。下巻はこちら↓

 長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました!

 

 

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