『ナ・バ・テア』(森博嗣)を読了したので感想を

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目を覚ませ、大人たちよ。自分たちが人間の完成した形であり、それに比べて子供は不完全な存在だ、という理屈は、死んだ人間が完成した姿であり、生きているものはすべて不完全だ、といっているのと等しい。気づいているか?大人になる、という意味は、死を意識して、臆病になる、たった、それだけの価値。ほとんど死んでいるに等しい大人たちの譫言。古来、人は、「死」を守り、「死」に縋って、戦った。生きていることの尊厳ではない。生きているものに、できることが、それしかなかったからだ。大人が醜い理由は、戦おうとしないその怯えた命にあるということに、気づいているか?(出展:ナ・バ・テア(森博嗣))

 

 

この物語の舞台は戦争が日常。主人公のクサナギは戦闘機乗りを職業としている。一人称が「僕」であるため最初は男の子かと思ったが、女性である。どこか感情に乏しく、何事にもそっけないような、クールな印象を与える人物。

 

戦闘が好きであり、相手の戦闘機を堕とすことを楽しんでいるように見える。「空でしか笑えない」という表現をするのもそのためだ。

 

地上に降りたら、僕は絶対に笑わない。だから、こうして飛んでいる間に、可笑しいことを吐き出して、思いっきり笑っておくのかな。それとも、自分に対する腹いせに、思いっきり笑ってみせてやるのかも。いつから、そんなふうのルールを僕は決め込んだのだろう。それがまた、妙に可笑しい。(出展:ナ・バ・テア(森博嗣)p.13)

 

ティーチャという存在

クサナギに大きな影響を与える人物がティーチャという男性である。圧倒的な空戦技術を持ち、隊の人々から憧れの存在として見られている。しかし、彼も普通の「大人の男」である部分が読んでいるところどころで見受けられる。

 

クサナギも当然のようにティーチャを尊敬・敬愛している。しかし、それは上官としての憧れだけではないと、読んでいるうちにわかってくる。終始この人物はクサナギと物語に絡んでくる重要人物である。

 

「これが後ろ向きに思えるか?俺は、お前が考えているような男じゃない。そうやって、なにかをでっち上げて、夢を膨らませて、見ているんだろうな」彼はそこで、口を斜めにして笑った。「今からだって、街へ出かけて、女を抱こうとしている。仲間が死んだってのに、この様だ」 (出展:ナ・バ・テア(森博嗣)p.238)

 

 

キルドレという存在 

クサナギは甲斐(カイ)という女性から「キルドレ」にならないかと持ち掛けられる。この「キルドレ」という存在について詳しくは書かれていなかったが、どうやら管理職や指揮官といった上のポジションのようだ。

 

女性のキルドレは少ないらしく、戦闘に対する姿勢と技術力を評価されクサナギが候補に選ばれた。

 

この物語では「子供」と「大人」という線引きが重要視されており、それは年齢的なものではなく精神的な面での線引きのようです。どうやら「子供」であることもキルドレに関係しているらしい。シリーズを追うごとに明らかになっていくのかもしれません。続きを楽しみにしておきます。

 

 

戦闘シーンの鮮やかさ

クサナギが戦闘機に乗っているシーンが多く描写されているのだが、その描写が軽やかかつ鮮やかである。クサナギも空戦術に長けており、戦闘機を華麗に扱う。その描写が森博嗣の疾走感ある文章で綴られていてサクサク読める。

 

そして何より伝わるのがクサナギが「楽しんで」戦闘機に乗っていることだ。この「楽しんで」戦闘機に乗っているのもクサナギの「子供らしさ」

 

 

実は恋愛小説?

「戦争」や「死」が多く書かれているのは事実だが、この物語の主軸はクサナギとティーチャによる恋愛もののように思えた。特に比嘉澤(ヒガサワ)が出てきたあたりからクサナギの嫉妬が見られ、ティーチャに対する敬愛が別の意味に変わった。

 

比嘉澤もティーチャを敬愛しているが、彼女がティーチャの話をするたびにクサナギはどこか苛立たし気。そして直接比嘉澤に指摘してしまうあたりが「子供らしさ」を強調している。

 

終わりまでクサナギとティーチャの関係が絡んでくるので注意深く読んでほしい。

 

 

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ここまで読んでいただきありがとうございました!

 

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